中年男性だし一人旅しようぜ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、中年男性の一人旅系のエントリを派生独立させました。中年になっても一人旅を続ける方向けの情報を発信していきます。過去記事の再掲も多いため、最新情報であることを保証はしません。一人旅派ならそのくらい自分で調べてね。

Freedom is not Free~韓国ソウルの戦争記念館に行ってきた

Freedom is not Freeの重すぎる意味

韓国の首都ソウルにある戦争記念館は、韓国最大級の戦争博物館である。65年前に発生した朝鮮戦争とその後の国際連合と韓国の関わりについて、記録と史料を後世に伝えるための博物館である。兵器関連の展示物も多くあるが、そのほとんどは朝鮮戦争の時期にかけてのものである。
大規模な博物館であるが、入場は無料である。

ソウル駅からソウル地下鉄4号線で2駅、三角地(サンガッチ)駅から歩いて数分のところにある。

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「Freedom is not free(自由は無償ではない)」という意味の碑文。この短い碑文こそ真理を語っていると思う。

この碑文は、(名目的には)軍隊を持たず、一方で平和を謳歌する僕たちにあまりにも重い一撃を与える。僕たちが享受しているもの、それは自由と平和であるが、それらは僕たちが自らの血の代償をもって手に入れたものではないからである。

日本国は太平洋戦争の敗戦に伴い、帝政から立憲君主政へと移行し、日本国憲法の元に基本的人権と、それに伴う様々な権利が保障されている。移動にも宗教にも表現にも、(公共的に有害であるものを除いて)制約はなく、自由である。はたしてその自由は誰が担保しているのか。それは間違いなく憲法9条などではなく、在日米軍という1つの巨大な軍事力である。

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もし在日米軍がなければ、とっくの昔に日本はソ連と中国の太平洋進出の足がかりとして、巨大な軍事拠点にされてしまっていたはずだ。そうなれば太平洋を介してソ連と中国と直接的に相対することになってしまい、地政学的にも軍事的にも、米軍にとって大変に不都合なのだ。だからアメリカは日本を自らの傘下に収めた。こうしたアメリカの個別的な事情によって、たまたま僕たちの国はアメリカによって守られているに過ぎないのだ。決して親日的であるからなどという情緒豊かな背景などではない。

とにかく、自由は遍くすべての人間に平等に無条件に与えられるものではなく、戦って手に入れなければならないという残酷な現実をこの碑文は示している。そうだ、自由を獲得するためには、何か代償を支払うべきなのである。僕たちはそれを在日米軍に担保させ、その防衛費や補助金のような形で間接的に代償を払っているからこそ、自由と平和が与えられているのである。そして韓国は、現在の政治体制を構築するために自らの武器と血をもって、北朝鮮をはじめとした赤軍と戦ったのである。勇敢なる韓国人!

屋外展示にはボーイングB52爆撃機

敷地は広く、その内部には朝鮮戦争の時代にかけて使用された兵器の実物展示が並ぶ。

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ノースアメリカンF-51D戦闘機。登場時はアメリカ軍の命名規則に従いP-51ムスタングと称された。第二次世界大戦末期に登場した、最高速度700km/hを超えるレシプロ戦闘機の最高傑作。

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北朝鮮軍、ソ連軍で運用されたジェット戦闘機であるMig17。こちらも速度は700km/hを超える。さらに破壊力抜群の30mm機関砲を装備し、アメリカ軍の誇るB29爆撃機を一方的に撃墜した戦績を誇る。

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上記のMig17の投入に対してアメリカ軍が導入したジェット戦闘機ロッキードF-86セイバー。日本でも航空自衛隊に導入され、ブルーインパルスの飛行などで活躍した。

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F-4戦闘機

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弾道ミサイル。型式は失念。

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ボーイングB52爆撃機。高翼の後退翼に8発のジェットエンジンを吊り下げた巨大な爆撃機。こちらはベトナム戦争あたりから実戦投入され、現在でも現役である。アジアで実物を見られるのはここだけで、他で見ようと思うならグアムとかまで行く必要がある。

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M4シャーマン戦車。逆光なのが悔しい。他にも多くの戦車があり、多くは手で触れることができる。

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カーチスC46輸送機。第二次世界大戦中に導入され、様々な戦線で物資の輸送に活躍した。

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駆逐艦に装備される12.7cm単装砲

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ボフォース40mm連装対空機関砲。第二次世界大戦後期からアメリカ海軍の戦闘艦に配備され、多くの日本軍機を撃墜した。

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朝鮮戦争で実際に使用された韓国海軍の戦闘艦。左舷部に銃痕が残る。

戦争記念館の内部展示

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記念館の全景。入口付近には国際連合加盟国の国旗がはためく。

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館内には「護国殿堂」の文字があり、戦争で命を落とした韓国軍人を慰霊する施設であることも意味している。そのへんの考え方は、日本の護国神社に似ているかもしれない(が、こちらは内戦である戊辰戦争までさかのぼったりする)。あるいはアメリカにも、軍人専用の慰霊碑が都市の中心部の公園にあったりするものだ。そのあたりの軍人へのリスペクトも、日本とは異なる文化である。日本には軍隊がないので当然といえば当然だが。

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ダグラス・マッカーサー元帥が愛用していたコーンパイプ。

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日本史ではおなじみ、李舜臣将軍が建造・運用したとされる韓国水軍の亀甲船の復元モデル。帆船ではあるが上部の甲羅のような硬い防御と側面からの砲撃が武器で、朝鮮出兵の際に豊臣秀吉軍を苦しめた。

しかし考古学的にはその存在が疑わしく、研究が続けられているとか。

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初代朝鮮総督である伊藤博文を暗殺した安重根。韓国内では、国のために命を投げ出して、侵略を進める敵を倒した英雄である。日本側から見たら政府高官を襲撃し殺害したテロリストであるとみなされて当然であるが、これを歴史認識の違いとして片付けてしまっていいのだろうか。少なくとも安重根の取扱については、間違いなく日韓の間で折り合いがつくことは未来永劫ないと思う。

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北朝鮮の指導者、金日成総書記の専用車。これ北朝鮮に返さなくていいのかしら。

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韓国大統領の専用車。

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国際連合からの、朝鮮戦争で殉死した韓国軍人を称えるプレート。

その他にも館内には、朝鮮戦争に至るまでの経緯、韓国軍人の遺骨、歩兵銃の展示や国際協力の歩みについてもまとめられている。中は非常に広大なので、きちんと見るなら半日くらいは時間をかけよう。僕はトランジットで7時間ほど余ったので仁川国際空港からここを訪れたが、結局ここだけに4時間ほどいて、他はどこも見ることなく、そのまま空港へ戻ることとなった。

お隣韓国は、今でも戦争状態が続いている。ソウル戦争記念館は、僕たちが享受できている自由と平和について、考えるきっかけを与えてくれる素晴らしい観光スポットである。

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まだまだ現役!国鉄211系電車を見られる場所まとめ

近郊型電車として活躍していた113系115系の改良版として1986年に運行が開始されたのが211系である。かつてはJR東日本JR東海それぞれの近郊路線の直流区間を当たり前のように走っていたが、現在は特にJR東日本での淘汰が進んでいる。

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川口駅付近を走行する211系。この頃はまだ15両からなる長大編成だった。

211系は、113系などのMT54原動機と異なり、走行音がだいぶおとなしかった覚えがあり、正直乗っていて物足りなさすら感じる車両だった。またこの頃からJR東日本は、近郊型車両にもロングシートを採用しはじめた。昔ながらのセミクロスシート車は初期形式の0番台と1000番台のみでしかなく、僕が鉄道旅をする年齢になるころには、オールロングシートの2000番台以降しか乗った記憶がない。

東海道本線

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熱海以西の東海道本線と名古屋近郊路線の主力車両は、211系と、より新型の313系である。どちらもオールロングシートで、まったく景色が見えないのは大変おもしろくない。青春18きっパーの猛者どもが、静岡区間が苦痛であるというのも無理からぬことだ。

東京方面から名古屋へ向かう場合、豊橋までたどり着けば、313系転換クロスシート車の新快速に乗ることができるので一気に快適になるのだが、熱海から豊橋がそもそも大変遠い。

JR東海「速くて便利な新幹線をご利用ください。」

信越本線東北本線両毛線

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群馬方の信越本線(高崎~横川間)、東北本線の宇都宮以北の直流区間(宇都宮~黒磯間) 、あとは両毛線の全線の普通列車として、211系が運行されている。 かつて高崎地区や宇都宮地区が115系の楽園であったように、現在では短編成化された数多くの211系が、のんびりと余生を送っている。

中央本線

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立川~松本間では、115系を置き換えて主力車両として活躍している。しかしロングシート車が多く、風光明媚な中央本線の車窓を楽しむには不適である。

内房線外房線

全線で、かつて京浜東北線で運用されていた走ルンです209系とともに、普通列車の主力車両として使用されている。かつてはこの区間は横須賀色の115系が使用されていたが、高崎線宇都宮線へのE231系及びE233系投入により余剰となった211系に置き換えられた。

211系はJR東日本JR東海に多く残存している。JR東海の211系はしばらく置き換えられることはないだろう。なぜなら211系を置き換えるには、熱海以西の東海道線全線で運用される相当数の211系の代替車両を準備しなければならないからだ。

しかしJR東日本の211系については、僕には気になっていることがある。それは、今後横須賀線総武快速線に投入されるE235系の存在だ。今後何年かでE235系は、現在横須賀線などの主力として運用されているE217系を置き換える。余剰となったE217系の行き先は、おそらく内房線外房線、あるいは高崎線両毛線東北本線宇都宮駅以北の直流区間で、最終的に211系を置き換えるのではあるまいか。

trafficnews.jp

というようなことを考えていたら、今後内房線外房線にはE131系という新型車両を配備すると発表されていた。ワンマン運転可能な2両編成12本を製造し、投入線区は鹿島線内房線の木更津以南、外房線の上総一ノ宮以南とのことである。たしかにこの区間で209系や211系の4両~6両編成は輸送力過剰の感があり、より旅客需要に合わせたということなのだろう。

だとすると結局、E217系の行き先はどこだろう?日光線や相模線、仙石線あたりの、直流区間で残存する205系の置き換えだろうか。それはそれで気になるところだ。 211系が引退するのは今すぐの話ではないとはいえ、E217系の動向などには注意しておいたほうがいいのかもしれない。

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まだまだ現役!国鉄117系電車を見られる場所まとめ

普通列車なのに2ドア転換クロスシートの特急型っぽい車両という、鉄道ファンの心をくすぐる117系。どこか185系(こちらも近い将来引退することが確定的だ)に似た風貌をもっているが、前面のデザインがずんぐりしているように見えて可愛げがある。

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117系はまだ現役とはいえ、年式的にもいよいよ絶滅の危機に瀕しているといえるだろう。 特に、大所帯だった東海道本線における新快速の運用と、紀勢本線での普通列車運用が消滅したことで、117系は残存数を大きく減らしている。

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王寺駅で撮影した、和歌山線紀勢本線で使用されていた頃の117系。スカイブルーに白色の帯を巻いていた。僕はこちらには乗る機会もなく、227系に置き換えられていった。

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湖西線

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湖西線普通列車で運用される117系。こちらの117系は、通勤需要に合わせてクロスシートの一部をロングシートに改装しており、より多くの乗客を乗せることに特化している。しかしそれでは、2ドアである分乗降に時間がかかって不便そうだが、果たして。

ところで、僕は京都駅で何度か117系を見たことがあり、その度に写真を可能な限り撮影している。しかしそれも長くは続かないだろう。なぜなら、湖西線をはじめとした関西圏の近郊路線には、2023年にかけて近郊型車両の最新形式である225系が投入されるからだ。目的は、3ドア近郊型車両としては古参の221系おおさか東線関西本線に転属させ、そちらの201系や103系を置き換えることにあるが、そうすると同じく余剰となる上に年式の古い117系は、115系とともに引退ということになるのだろう。

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よって、おそらく117系湖西線で運用されるのは、最長であと3年弱というところである。あるいは3ドアの115系よりも、2ドアで乗降に不便な117系は、225系の投入が開始されたら真っ先に置き換えられるのではあるまいか。そうすると117系湖西線からの引退は割と近いのかもしれない。

山陽本線サンライナー

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山陽本線の岡山~福山間を結ぶ快速列車「サンライナー」で、4連の117系が運用されている。 僕は岡山に遊びにいった時、吉備の国フリーパスとかいう周遊きっぷをもっていたので、せっかくなので岡山~福山までを往復したことがある。

今では一部のローカル線でしか運用されていない115系も、かつては近郊路線車両として、快速線を爆音立てて走っていたではないか。僕は抵抗制御方式の国鉄型車両が奏でるMT54原動機の咆哮を愛してやまない。サンライナーは快速列車だから駅間がやたら長いのだが、その間MT54のその咆哮が車内に響き渡っていた。まるで185系115系に乗っているような気がして、とても懐かしく思えた。

国鉄岡山の異名のある岡山地区なだけに、こちらの117系はまだ当分運用され続けるのではないかという謎の期待がある。とはいえJR西日本の車両更新計画には注意を払う必要がありそうだ。置き換えるとしたら227系の投入によってだろうが、その投入状況によっては、広島地区があっという間に「國鐵廣島」を返上したごとく、岡山周辺の115系117系、213系などを置き換えてしまう可能性があるからだ。 117系はおそらく、今後数年間で、一気にその数を減らすだろう。乗り納め撮り納めは早めがいいだろう。

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日本国内で一式戦闘機「隼」を見られる場所まとめ

旧日本海軍零式艦上戦闘機と、同陸軍の一式戦闘機「隼」。どちらも太平洋戦争期の日本軍の主力戦闘機として名高い機体である。今でこそ知名度零戦のほうが上だが、当時は加藤隼戦闘隊の活躍もあり、どちらかというと一式戦闘機のほうが人気があったらしい。

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一式戦闘機は機動性と加速性に優れていて、敵機に後ろに付かれても急加速や急旋回によって躱すことができた。しかし武装が貧弱で、初期型は機首の7.7mm機関銃2門のみ、後期型でも同12.7mm機関銃2門のみだった。翼面荷重を下げつつ高機動を確保するためには主翼の強度を高める必要があったが、そのため三層桁構造の主翼を採用したことから、主翼内に機関銃を装備することもできなかった。

このように、一式戦闘機は機動性に優れるが火力が貧弱な機体、というのが一般的な評価だが、12.7mm機関銃装備機は、太平洋戦争中期以降も対空戦闘でそれなりに戦果を上げた。零戦も一式戦闘機も、戦争が進むにつれて旧式化していったが、防弾装備のある一式戦闘機のほうは、格闘戦に限れば大戦末期でもアメリカ陸軍の最新鋭戦闘機であるP-47やP-51、あるいは海軍のF6FやF4Uと渡り合うことができたというエピソードも伝わる。

零戦と比較して一式戦闘機の現存機体は少ないが、日本国内では以下の場所で保存機を見ることができる。

河口湖飛行館

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日本国内で旧日本軍機をレストアしている河口湖飛行館は、とうとう、一式戦闘機を復元した。一式戦闘機のオリジナルの現存機は国内では本機だけである。

形式は一型で、二枚プロペラブレードと、胴体の国籍マークが描かれていないのが特徴である。復元されたばかりで塗装もきれいな状態だ。まだ主脚が取り付けられていないようで、台車の上に乗せられている。

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エンジンカウリング部。エンジンカウルの上に2門の機関銃口が確認できる。

知覧特攻平和会館

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知覧特攻平和会館の一式戦闘機は、映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」の撮影に使用された三型のレプリカである。退色の度合いからして、おそらく戦争末期の一式戦は再塗装の余裕もなく、実際にこんな感じの外見だったのだろう。

https://okinawa-yokuyukai.org/news/news_2016_06_04.html

※調べたところ、屋外の一式戦闘機は再塗装され、良好な状態となっているようだ。

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機体を側面から。三型は推力式単排気管(エンジンカウルから後方に複数の排気管がある)に3枚プロペラが特徴である。本機は特攻隊仕様のため、右主翼下には250kg爆弾を、左主翼下には燃料タンクが装備されている。

知覧特攻平和会館の館内には、もう1機の一式戦闘機(レプリカ)と、大東亜決戦機にして中島飛行機による渾身の傑作、そして唯一の現存機である四式戦闘機「疾風」も展示されている。館内は撮影禁止のため写真はないので、ぜひ現地を訪れたい。

一式戦闘機については海外の方が良好な現存機が多く、例えばインドネシア空軍博物館や、アメリカのピマ航空宇宙博物館の現存機は、オリジナルの外見を保っているようだ。特に二型以降の、胴体側面に日章マークを塗装した機体が海外にしかないのは残念である。しかし知覧特攻平和会館の機体はそれなりに精巧に作られているし、これだけ塗装が退色した状態かつそれを塗り直すほどの余裕も必要性もないという、旧日本陸軍航空隊の実情が伝わってくるので、それはそれでいいのかもしれない。
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【8月限定】河口湖飛行館へ、日本で唯一の一式陸上攻撃機を見にいこうぜ

河口湖のほとりに別荘が立ち並ぶ。そんな森と別荘の合間に、知る人ぞ知る飛行機と自動車の博物館がある。

河口湖自動車館・飛行館というこちらの博物館では、その名の通りクラシックカースーパーカー、そして太平洋戦争期を中心とした航空機を中心とした展示がなされている。8月限定の開館なので行ける時期は限られているのだが、それは子供たちの夏休みの宿題を意識している気がして、なんとも言えない気持ちになる。なお休館中は、展示物のメンテナンスや機体の復元などの作業が行われている。

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カーチスC-46輸送機が来館者を出迎える。本機は割とポピュラーで、所沢航空公園や浜松航空自衛隊基地の史料館など、様々な場所でお目にかかることができる。

特に航空機の展示についてはマニアやオタク垂涎である。当館の主な展示物は、3機の零式艦上戦闘機、一式戦闘機「隼」、一式陸上攻撃機の胴体が1機あるが、こちらの一式戦闘機と一式陸上攻撃機は、日本ではこちらでしか見られないオリジナルの復元機体である。

例えば鹿児島県の知覧特攻平和会館には、一式戦闘機三型が展示されているが、こちらは映画撮影に使用されたレプリカである。

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一式陸上攻撃機については、その巨大さもあって日本で復元が進んでいるのはこの1機だけである。主翼やエンジンなどのパーツはある程度揃っており、今後の復元が待たれる…が、完全復元するとなると全幅26m、全長20mの大きさとなる。そんな機体をこの倉庫のような大きさしかない建物内に展示できるはずがないので、屋外展示になると思うが、駐車場を削減するか、あるいは入り口のC-46輸送機の前に並べるのだろうか。そうするとC-46が見づらくなるのでは…など、要らぬ心配をしてしまう。

入館料は、自動車館、飛行館各々で1000円が必要となる。

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古い蒸気機関車の展示もあったりする。

自動車館

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ボンネットバス。行き先は河口湖自動車博物館となっている。

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やたらと古そうな消防車。

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なぜかF104戦闘機の胴体が屋上に鎮座する自動車館の建物。

早速自動車館に入ってみよう。自動車館では、ヒストリカルクラシックカースーパーカー、そしてに二輪車の展示がなされている。時代区分や外国車、国産車の区別がされているので、時代を追って見やすくなっている。

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メルセデス・ベンツ製の世界初の自動車。自転車のような構造だが、座席後ろにエンジンが搭載されているのがわかる。

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ランボルギーニカウンタック。1970年代~80年代の車両である。この他にもキャデラック・エルドラドなどのマッスルカーやメルセデス・ベンツアルファロメオフェラーリF40などのスーパーカーが並ぶさまは圧巻である。

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実のところ僕にはあまりクラシックな自動車や二輪車のことはわからないので、見て回るだけになってしまう。かっこいいなーとは思いつつも、何となく欲しくならないのである。

飛行館

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一通り自動車館を見て回ったところで、いよいよ飛行館に入ることになる。右手のワーゲンバスが趣深く、いい味を出している。

一式戦闘機「隼」一型

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展示物は入れ替えられているが、入館者を出迎えるのは復元を終えたばかりの一式戦闘機一型である。マーキングは加藤隼戦闘隊で有名な加藤建夫少佐(戦死後二階級特進により陸軍少将)乗機をイメージしている。加藤少佐は飛行第64戦隊を率い、部隊マークとして尾翼には青い縁取りの白矢印が、隊長機マークとして主翼に白い線が装飾されている。この時代においては胴体に国籍標章(日本軍の場合は赤い日の丸)を描く必要がなかったらしい。

集合式単排気管や、眼鏡式の八九式照準眼鏡、エンジン上部には7.7mm機関銃の銃口が確認できる。主脚がつけられておらず台車に載せられた状態だが、こちらも遠くないうちに復元され、往時の姿を取り戻すのだろう。

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エンジン部のアップ。2枚プロペラは一型の特徴で、二型以降は3枚プロペラとなる。

一式戦闘機は旧日本陸軍で運用され、支那事変の1941年から実戦投入されている。その後は太平洋戦争中の南方作戦において、上述の加藤隼戦闘隊の活躍によって国民に広く愛される期待となった。本機のエンジン出力、武装、最高速度などのカタログスペックは、その後登場する連合国の最新鋭機に遥かに劣っていたが、良好な運動性と優れた加速力によって、それらの敵機に格闘戦で負けることはほとんどなかった。

戦争末期には特攻機として使用された機体も少なからずあったものの、戦争の全期間に渡って主力であり続けた名機である。ジャイアントキリングが好きな国民性もあって、圧倒的な性能と物量をもって攻めてくる連合国軍を、非力な本機が撃退するというシナリオは、当時の国民に愛されたのだと思われる。

ちなみに戦後の日本においては、太平洋戦争中の主力戦闘機といえば一式戦闘機ではなく零式艦上戦闘機のほうであり、本機の知名度は高くない。零戦と違って戦争末期でも互角に戦えていた数少ない機体だったのに、どうしてこうなったのか。

一式陸上戦闘機

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こちらも本館の目玉であり、最近ようやく胴体部分の復元が完了した。本機は旧日本海軍が運用した攻撃機である。攻撃機と分類されているが、敵艦隊への雷撃、そして陸上海上問わず爆撃や輸送の任務を任される機体である。

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本機は太平洋戦争初期は航空攻撃に活躍したものの、その後はやたらとアメリカ海軍のF6FやF4Uなどの新鋭戦闘機に撃墜された機体でもある。あるいは海軍甲事件における山本五十六海軍司令長官の最期の乗機として、知っている人は知っているくらいだろうか。

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復元待ちの一式陸上攻撃機の火星エンジン。4枚プロペラが装備されているため、本機の一式陸攻は二四型以降としての復元となるだろう。

一式陸上攻撃機の現存機としては、アメリカ・カリフォルニア州のプレーンズ・オブ・フェイム博物館に、撃墜された状態で保存・展示されているものがある。しかし復元機体は、世界を見渡してみても本機だけである。その意味で大変貴重な機体である。

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零式艦上戦闘機

この小さな空間に、3機もの零式艦上戦闘機が展示されている。

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零式艦上戦闘機の決定版である五二型。推力式単排気管の特徴的な排気管が突き出ているのがよく分かる。エンジンカウルの下部は、内部構造を理解しやすいように取り外されている。

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零式艦上戦闘機二一型。航空母艦に収容するため、スペース確保とエレベータのサイズに適合させるため、翼端は50cm折り畳めるようになっている。塗装についても、国内の零戦現存機はほぼ五二型かそれ以降のため暗緑色で塗装されているが、本機は太平洋戦争初期の三菱明灰色で塗装されており、その意味でも非常に貴重である。

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骨組みだけの状態で鋼板貼り付け前のモデル。機体構造が理解しやすくなっている。

その他の展示

その他、個別に館長が収集した部品も充実している。

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三式戦闘機「飛燕」に使用されたアツタエンジン。日本機では珍しく液冷式のエンジンで、ドイツのダイムラー社製エンジンのOEMである。排気管が6本突き出ており、V型12気筒であることもわかる。こちらのエンジンは高い工作精度が要求され、必要数が生産できず、エンジン装着を待つ三式戦闘機の首なし機体のみが川崎航空機の工場に並べられたという。

ちなみにその後、三式戦闘機の機体にはより強力な空冷エンジンである金星エンジン(ハ112)が装備され、五式戦闘機として戦争末期の防空戦闘に活躍することになった。

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四式戦闘機「疾風はやて」に搭載された誉エンジン。2000馬力の大出力(零戦の栄エンジン約1150馬力のほぼ倍!)を誇ったが、故障しやすく稼働率に難があったという。

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同上、陸上爆撃機「銀河」に搭載された誉エンジン。性能は良かったがやはり稼働率に難があり、「国滅びて銀河あり」などと評されてしまった。

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零式艦上戦闘機に使用された栄エンジン。台車に「中島飛行機株式会社」と書かれているのが地味に趣深い。

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四式戦闘機「疾風」の垂直尾翼(方向舵)。

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太平洋戦争中に最も使用された九一式航空魚雷。全長は5mを超え、重量は800kgにもなる。一式陸上攻撃機もこちらの魚雷を装備し、雷撃任務に就いた。

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ロケット特攻機「桜花」。いわずと知れた「人の命を部品にしてしまった」悪名高き機体。連合国では「BAKA」と呼ばれている。大戦末期の一式陸攻の相方で、設計上は最大武装で800kg航空魚雷を抱えることができた一式陸攻も、重量2.4トンにもなる本機を腹に抱えると、よろよろと低速で飛行するしかなく、当たり前のように連合国戦闘機の餌食となった。

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世界初の飛行機「ライト・フライヤー1号」の実物大復元機。

新型コロナウイルスの影響によって、2020年の夏の開館は見送られたが、大人も子供も楽しめる博物館である。また展示物との距離が非常に近く、部品の接合部分や鋲など、工業生産品としての特徴を間近で捉えられるのも非常に評価できる。親子の夏休みの自由研究に、あるいは飛行機や自動車が好きな人は、こちらの博物館の訪問を是非検討してほしい。2021年8月、本館が開館することを僕は祈っている。

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【二式大艇】鹿屋航空基地資料館へ、現存する二式飛行艇を見にいこうぜ

僕が鹿児島県を訪れた理由は、知覧特攻平和会館の訪問以外にも、もう1つある。それは世界に誇る日本の飛行艇技術の黎明にして傑作、二式飛行艇二式大艇)の実機を見ることだった。

二式飛行艇は以前は東京・お台場の船の科学館に展示されていたが、現在は鹿児島県鹿屋市にある海上自衛隊鹿屋航空基地史料館に展示されている。もともとこの地には旧日本海軍航空隊の飛行場があったのだが、現在は海上自衛隊の航空基地として運用されており、その敷地内に史料館がある。

鹿児島市内に滞在していた僕は、西郷隆盛西南戦争の戦跡をたどりつつ市内を観光した。その後フェリーに乗って桜島へ移動し、そこからレンタカーで大隅半島中部にある鹿屋市を目指した。

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桜島から鹿屋までは片道で50km弱、およそ1時間と少しのドライブである。左手には錦江湾を望み、風光明媚なドライブを楽しむことができる。鹿児島中央駅からバスも出ているので、もしかしたらそちらのほうが安くつくかもしれない。

www.gurutto-oosumi.com

2020年8月現在は、新型コロナウイルスの影響で、入館が制限されている。事前予約が必要とのことなので、手続きに従っていただきたい。ただ、屋外に展示されている海上自衛隊の各機や二式大艇は、おそらくその限りではない。

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www.mod.go.jp

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早速機体を見上げてみる。全長28m、全幅38m、高さ9m、全備重量24.5トンの巨体がそびえる。機首にかけては水の抵抗を防ぐため、細く絞られている。

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真横からのアングルは、何やら目盛りのような表示が機体下面に確認できる。機首にかけてはなめらかにカーブしており、まさに船を思わせる造形をしている。

二式大艇は登場当時から、20mm機関砲7門をはじめとする強力な武装、最大2トンの爆装、最長7000km以上という長大な航続距離、この巨体にして最大時速465kmという速度を誇っており、連合軍からは「恐るべき機体」「空の戦艦」などと評価されていた。しかも連合軍のB-17重爆撃機を積極的に追撃し撃破するなど、戦闘能力そのものも高かった。実際、島国という事情と、当時の戦線が西太平洋のほぼ全域に渡る中で、広大な海そのものが巨大な飛行場として扱える飛行艇は、実情に即した需要があったものと考えられる。

旧日本海軍は実際水上偵察機も数多く開発・運用したし、あるいは二式水上戦闘機のような本格的な戦闘機まで開発していたりもする。水上機はフロートがついていることから、通常の航空機と比較するとどうしても戦闘機動に劣るとはいえ、海という地の利を最大限に活用するという考え方も理解できる。

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そんな島国日本の飛行艇需要を考察しつつ、早速史料館の敷地に入ってみよう。

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僕はヘリコプターには詳しくないので本機が何なのかよく覚えていないのだが、海上自衛隊の大型の救難ヘリコプターである。屋外展示にはこうしたヘリコプターや航空機が展示されている。

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P2V対潜哨戒機「おおわし」。

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PS-1対潜飛行艇。対潜レーダーや、潜水艦を撃退するための爆雷投下装置などが装備されている。水陸両用であり、水上陸上どちらでも離発着できるのも特徴。

本機が二式大艇によく似た機体であることにも気づくだろう。二式大艇を開発した当時の川西航空機飛行艇設計技術は、世界最先端であった。荒れた海での離着水を可能とした消波設計などは、社名が新明和工業と変わった現在においても評価されている。実際、二式大艇の流れをくんだPS-1対潜飛行艇や、その後継となるUS-2救難飛行艇などに、その技術が生かされているのである。

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左手前が対潜爆雷。右手の2本が航空魚雷である。

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旧鹿屋飛行場は、知覧よりも知名度は低いのだが、海軍の特攻隊の前線基地でもあった。史料館内部には、零式艦上戦闘機(五二型)のほか、特攻隊員の遺書や遺影などの資料が展示されている。彼らは20歳そこそこの若者たちだった。戦後に生き、戦争を知らない僕たちは、それに対して何を思うのだろう。

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こちらの零戦は、機体の脇にタラップが設置されており、操縦席内部の構造や計器、照準器などの様子が大変見やすくなっている。

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零式艦上戦闘機用の栄エンジン。強度の問題で本機からは取り外され、エンジンだけ別に展示されているのだという。

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帰りの道中、桜島が噴煙を上げているところを見た。僕は火山の噴火をこの目で見るのは生まれてはじめてである。それにしても周りの人々は全く動じていない。これが薩摩隼人メンタリティか。実害はないのだから、僕がビビり過ぎなだけなのかもしれない。

知覧特攻平和会館と比べて知名度が今ひとつな感はあるが、鹿屋航空基地史料館は、特攻隊の経緯を学んだり、海上自衛隊で使用されていた機体を見学したりと、非常にバラエティに富んだ体験をすることができる。飛行艇や哨戒機などの展示は随一であるので、ミリタリー趣味がある人にオススメのスポットである。

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【新幹線】JRが運営する予約システムの使いづらさは異常【高速バスネット】

JR東日本が提供するえきねっとや、JR西日本が提供するe5489、そしてJRバスの各社が運営する高速バスネットなどの各サービスにおいて、僕は言いたいことがある。それはそれぞれのサービスの不便さだ。オンラインサービス全盛の時代に一体何をやっているんだ。

伊豆箱根鉄道までの乗車券が買えない

JR東日本が運営するえきねっとでの事例である。

これは僕が修善寺方面への旅行を計画したときに遭遇した罠である。僕はえきねっとを使用して切符を手配したのだが、切符については少々特殊で、この特急券1枚で、伊豆箱根鉄道区間乗車券(三島~修善寺)を網羅している。それだけなら別にいいのだが、降車駅が修善寺であることから、JR東日本管轄駅ではないため、乗車券として個別に購入することができないのである。

junny-policies.hatenablog.com

何が起こるかというと、最寄り駅~修善寺駅間の乗車券と、東京~修善寺駅間の特急券がそれぞれ必要なのに、前者の乗車券は、少なくともえきねっとでは手配できない。この場合、(1)最寄り駅から東京(山手線内)に向かい、(2)東京(山手線内)で一度改札を出て、そこからこの乗車券・特急券で入場する必要がある。(1)がJR東日本の駅で、かつ山手線に所属しない駅である場合が大変不便である。

修善寺に行こうとする旅行者が最寄り駅から修善寺までの乗車券を買う方法がないとは、オンラインきっぷ購入を何だと思っているのか。これではオンラインで切符購入が完結しないのみならず、旅行者はわざわざ東京駅で改札を出場してまた別の切符で入場するという無駄な動きをしなければいけない。そんな無駄を旅行者に強いるとは、まじでクソな設計である。乗り入れ先であるのだから、伊豆箱根鉄道の乗車券くらい買えるようにしておけという話である。

ちなみにJRが東日本と東武鉄道が相互乗り入れをしている日光・鬼怒川方面の乗車券は、特急列車の停車駅に限りえきねっとでも予約できる。鉄道会社によって対応が異なるようだ。この差は一体何なんだ。そして別に全ての乗客が特急列車の停車駅に用事があるわけでもあるまい。例えば鬼怒川温泉駅の前後の小さな駅が降車地だったなら、それはそれでオンラインで購入はできないのだ。それって結局降車駅までのきっぷを別途手配する必要があるので、とても不便ではないだろうか。

e5489は会社跨ぎの乗車券が買えない

これはJR西日本が運営するe5489サービスでの事例である。

 Gotoトラベルを活用して京都を訪れようとした僕は、事前に切符を購入することにした。必要なのは、京都駅から地元の最寄り駅(JR東日本管轄)までの乗車券と、京都駅から東京駅までの新幹線特急券だ。結局e5489では、京都駅から地元の最寄り駅までの乗車券を買うことはできなかった。幸いにしてえきねっとでは買うことができたので事なきを得たが、そうするとe5489サービスを東日本に住む僕が使う理由が非常に薄れてくるようだ。

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伊豆箱根鉄道のきっぷが買えないのはまだ許せた。しかし同じJRグループ間の会社跨ぎの乗車券が買えないのは許容しがたい。駅の券売機では購入可能なのに、オンラインで購入できないというのは一体何を考えているんだ。オンラインのサービスがなぜオフラインのサービスに劣後しているんだ?サービス設計として明らかに間違っている。

e5489で新幹線の切符を受け取れない罠

そしてe5489についてはもう1つ言いたい。それはe5489で予約した切符の受け取りについてである。一応東京都区内の各駅で受け取ることはできるのだが、注意書きに東海道新幹線(東京~新大阪)など、JR東海エリアを含むきっぷはお受け取りいただけません」と記載がある。これは罠である。

おそらくこれは、東京駅とかにあるJR東海の券売機がJR西日本のe5489と連携していないからだが、それにしても不便が過ぎる。例えば埼玉県民である僕が東京から広島へ行く新幹線をe5489で切符を予約したとしても、それには東京~新大阪間のJR東海区間を含んでいるから、それをJR東日本の各駅では受け取れないのである。

これでは予約の意味がない。つまり僕たちJR東日本の管内に住んでいる人たちは、e5489を使って予約するメリットは皆無である。まじでみんな使うのやめたほうがいい。えきねっとのほうがまだフレキシブルだ。受け取れる場所も多いしね。

なんでこんなフザけた仕様になっているんだe5489。本当に意味がわからない。

逆に広島から東京に向かう切符を予約した場合は、広島の現地のe5489対応券売機で切符を受け取れるので支障はない。復路は受け取れても往路が受け取れないのでは片手落ちだが。

高速バスネットの使いづらさは異常

JR高速バスは、楽天トラベルとかで申し込むバス会社よりもシートが上等だったりするし、発着場も東京駅の八重洲中央口前とかで非常に便利なので、僕は常々使いたいと思っていた。しかし結局これまで一度のJR高速バスにお世話になったことはない。

1年使わないと消去されるログインID

それはひとえに高速バスネットの予約システムの不便さにある。1年間未利用だと、なんと登録したIDを消去してしまうのである。何そのクソ仕様。どれだけ顧客DBのレコード数上限が逼迫してしまっているのか。普通にストレージでも何でも増やせば解決するだろうに。あるいはいつ使われるかわからない個人情報など危なくて保有していられないというのか。B2Cビジネスやめてしまえ。

何が起こるかというと、申し込もうとしたタイミングでいちいち個人情報フォームに登録し直してIDを作らないといけないものだから、単純に非常に面倒なのだ。それならば楽天トラベルとかで、日付と便を指定してさっさと予約と決済まで完了してくれる方が圧倒的に便利である。

大体高速バスを使って旅行するなんて年に1回か2回だし、まる1年乗らないことなどザラである。多分この仕様を考えた側は、そうしてユーザが不便に感じることを想定できないゴミカスSEが設計したか、あるいはそういう改修も施すことができないほど複雑なシステムを作り込んでしまったかのどちらかだ。どちらにしてもシステムを通じてサービスを提供する側の姿勢としてありえない。

嫌なら使うなというのか?えぇ使いませんとも。でもはかた号の2列プレミアムシート乗ってみたかったな。

深夜の時間帯はシステムが停止する

えきねっと高速バスネットは、オンライン予約システムなのに、まるで人間のごとく深夜早朝帯は稼働を休止してしまうという斬新な仕様である。えきねっとについては毎日23:40~0:20と毎日1:40~5:30、高速バスネットは「営業時間」という表現を使用しており、午前5:00 〜 翌 1:00だという。オンラインサービスに営業時間という概念があったとは。まるでリアル店舗のようだ。

リアル店舗の弱点は深夜早朝帯に営業していないことだが、まさかのバーチャル店舗であるオンラインサービスですらその弱点をカバーしきれていないとは。一体何のためにこのサービスを作ったんだ?24時間365日稼働するのがオンラインサービスの常識だし、顧客へのサービス設計において、リアル店舗では提供できない深夜早朝帯を含むサービス提供を行い、それを補完する関係にあるという設計思想自体が欠落している。これでは顧客のためになっていないではないか。すべての顧客が早寝早起きしている訳じゃないんだぞ。

もしかしたら必要なシステムメンテナンスを行っているのかもしれない。オンラインサービスが、システム全停止を伴うメンテナンスを行うことはあるが、毎日行っている例を僕はJRの予約サービス以外に知らない。深夜に3時間も4時間も一体何を処理しているのだ。諸々のバックアップを取ったりキャッシュをクリアしているのかもしれないけれど、ダウンタイム無しでできていることを、なぜJRの予約システムではできないのか。あるいは、そんなに時間を取らないと日中帯にシステムが正常稼働を担保できないというのか。オンラインサービスとしては常識外れだ。大丈夫かそのシステム?

顧客体験だのカスタマーエクスペリエンス(意味は同じだが)だの言われる時代に、このようなユーザビリティ設計はありえない。顧客のオンライン体験を何だと思っているのか?なぜか長いことシステムは稼働しているけれど、リピーター顧客は相当少ないんじゃないだろうか。バス予約して乗れればそれはそれで満足できる移動ができる気がするけど、そもそも予約するのに不便すぎるんだもの。オンライン顧客の満足度は相当低いんじゃないかな。

顧客体験重視でサービスを作り直せ

消費者が利用するオンライン予約サービスのベンチマークとなるのは、例えばSkyscannerというサービスだ。Skyscannerは全世界の航空会社の座席予約システムと連携しており、出発地、到着地、日付を入力すると、あとはフライト時間や価格順で各航空会社の便が表示される。旅行者はその中から最も安く滞在時間の長い便、あえてトランジットで半日旅行するために乗り継ぎ時間の長い便、あるいは最短で移動するため少々高額な直行便などを、各自のニーズに合わせて自由に選択できる。

これが実現できるような旅行プラットフォームが、JR各社には必要だ。てかまじでそういうの作ってくれ。何なら大手私鉄各社も参画して、日本全国鉄道予約システムみたいなの作ってくれ。駅すぱあとやYahoo路線情報の経路検索結果から、そのままきっぷの購入申込みができるようなインターフェースを作ってくれ。券売機の前であれこれ悩まなくても良いように、会社跨ぎの切符をオンラインで購入し、スマホアプリ上のQRコードで改札できるようなユーザビリティを提供してくれ。新幹線や特急列車の全ての座席を画面で指定できるようにしてくれ。

顧客体験重視で予約サービスを作り直すんだ。航空会社に学んでくれ。僕たちデジタルネイティブは、そういうオンライン体験が悪い印象の会社のサービスは使わない。それでもJRについては代替手段が乏しい、つまり事実上の寡占状態だから、僕たちはそれを使わざるを得ないだけなのだ。つまりJR各社は、消費者側が不便を我慢しているところにあぐらをかいているに過ぎないのだ。

もっとオンラインサービスが便利になってほしい。それが僕たちデジタルネイティブからの、JR各社へのメッセージである。

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